
お別れの音
青山七恵
文藝春秋/1300円
10.09.29刊
すこし前に、文藝春秋社のPR誌「本の話」で書いた書評を、アップしておきます。
今年刊行された本をつらつらと思いだしていて、これけっこう好きだったな、と思ったので、その備忘録として。
WEBで読むには、ちょっと長めの文章で、恐縮なのですけれど。
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面白い小説、と聞くと、ついどんなめくるめくストーリーが展開されるのかと想像しがちだが、話の筋らしい筋、起伏らしい起伏もないのに、やっぱり面白い小説としか言えない作品はある。本書に収められた六つの短編小説は、みなそうだ。
たとえば最初の「新しいビルディング」を読んでみる。
描かれるのは、入社三ヶ月のマミコが、ほとんど口もきいたことのない先輩社員から妊娠と退社の報告を受け、引継ぎをし、送別会においてもほとんど話さないまま、彼女の最終出社日を迎える、という日常のスケッチである。会社勤めの経験のある読者ならにやりとするリアルな細部――時間差でとる昼休憩、送別会の凡庸な挨拶など――をアクセントに、全体的にはシンプルで端正な文章で綴られる。
粗筋にしてしまえば愛想の少ないこの物語は、しかし読むと面白い。ただ、面白さの核を取り出し、これがその理由と、人に説明しがたいのもまた事実で、答えを求め、次の作品を読み進めることになる。
続く「お上手」も、一篇めと同じく若いOLが語り手である。床材に難のあるオフィスに勤める彼女は、ある日傷ついたヒールの靴を修理店に持ち込む。後輩に「ああいう人が好きでしょう」と指摘されて初めて、修理屋の男を意識し、その後も折を見ては熱心に観察を続ける。
〈この男にはなんのとっかかりもない。(中略)優しそうだ、とか、おっかなそうだ、とか、神経質、無気力、温厚、剛健、どれにも当てはまりそうにない〉などと。
ここでたいていの読者は、主人公と修理の男との間に生まれるロマンスを期待=予想するにちがいない。
小説において近づくものは関係しがちであると“近接の原理”を説いたのは、リカルドゥーというフランスの文芸批評家だったが、彼の説など知らずとも、小説内で主人公が異性と知り合ったなら恋はつきものと、読者の胸は逸る。しかし、その予想をするりと裏切るように青山七恵は二人を恋に落ちさせない。
いわばお約束のドラマ性を退け、OLが靴を修理するだけの話(!)に仕上げることには潔さすら感じるが、ではこれがなぜ面白い小説たりえるのか?
おそらくその秘密は、青山七恵の独特の「視線」にある。
思い返すに、デビュー作の『窓の灯』では、窓ごしに向かいの住人の生活を覗き見ることを日課とする女性が描かれたし、芥川賞受賞作『ひとり日和』の若き主人公・知寿は、同居する七一歳の吟子さんの台所の引き出しの中身や、老いらくの恋のさまをじろじろ見ることで、自身の青っぽい孤独感をやがて克服していった。
見ていないようで見ていて、気のないふりだけど興味津々。こうした非対称のまなざし――正面から相対するのでも、横並びで同じ方向を向くのでもない、いわば斜め四五度からの視線――は、本書でも申し分なく発揮される。
「新しいビルディング」で、先輩社員との最後の日、マミコは彼女のせんべいの食べ方を観察し、こっそり自分も真似をする。そして、向かいの建設中のビルの名前に関して、「ヒグチさんなら、知ってるかと思って。よく見てるから」との彼女からの問いには、無視をきめこむ。一方的な観察者であったはずのマミコの、自分がなにを見ているかを見られていたことに対するわずかな動揺が、さらりと、しかし的確に描きだされていて、はっとする。
「お上手」でも、視線の非交差が、恋を遮断する。
〈横長の鏡の前で、セーターの色といつもとまるきり同じようにした化粧の具合を心配しながら、あの男のことを考える。誘われて男と食事に行く自分と、同じ時間にひとりきりで他人の靴修理をするあの男を、鏡の前に並べてみるのは、悪くなかった。悪趣味な想像だとは思ったけれど、その後ろめたささえ、悪くなかった。〉
いくら想起しても、鏡にうつるのは自分の姿でしかない現実。まなざしの非対称性……。
本書にはこれら二篇の他にも、大学の食堂で働く主婦が、いつもわかめうどんを注文する女学生を熱心に観察し、さらには尾行まで行なったことで、ひとり妄想を膨らませていく「うちの娘」や、かつての同級生との間にメールのやりとりだけで恋心を再燃させた男が、三年ぶりに再会した彼女に思いもかけなかった事実をつきつけられる「役立たず」や、言葉の通じないナディアと通訳役の友人とのスイス観光中、腹痛に見舞われ続けた男の旅の記録「ファビアンの家の思い出」などが収められているが、そのいずれもが“目に見えるもの”と、妄想や記憶を含む“イメージ”とがせめぎあう瞬間をとらえている。
視線とは、つまるところ、関係である。大きな起伏ある物語が構築されないかわりに、人と人とがある関係性を紡ぐさまが、繊細なレース編みのように描かれている。平凡な登場人物たちが、なにかを見つめ、感情をわきたたせ、関係を築きながら、しかしそれは必ずしもハッピーエンドとならずに、消えていく。あるいは、よく知っていたはずの人間のまったく知らなかった一面を垣間見て、他者の不気味さを実感する。
こうした小さな調和と非調和の運動こそ、人間の営みの本質だと思い出させてくれるのが、本書の魅力なのだろう。視線からはじまったある関係性の行く末をじっと見届ける探偵のような目と、その関係性が消えゆく際のちいさな音を聞きもらさない調律師のような耳を持ち、その推移のさまをユーモアをまじえて小説として定着させつづける青山七恵は、一見したその作風の印象とは逆に、頑固で、不穏当で、そして言語表現の難しさに挑む作家(ルビ=チャレンジャー)なのではないだろうか。
だから彼女の小説は、面白い。