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また君に恋をした

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また君に恋をした
アンドレ・ゴルツ著
杉村裕史訳
水声社/1575円
2010.10.22刊

〈君はもうすぐ八十二歳になる。身長は六センチも縮み、体重は四十五キロしかない。それでも変わらず美しく、優雅で、いとおしい。〉

想いのこもった、長い長いラブレターだ。
書いたのは、サルトルをして「ヨーロッパで最も鋭い知性」と言わしめた哲学者/エコロジストのアンドレ・ゴルツ、83歳。「君」と語りかける相手とは、53年間連れ添い、不治の病と闘う妻のドリーヌである。

ゴルツは、自らの1958年の著書『裏切者』のなかで、結婚以来、公私にわたって支え続けてくれていた妻を貶める記述をしたことに、50年近い年月を経て深い後悔の念をいだき、本書を執筆しはじめる。
しかしその彼が悔やむ数か所の記述にしても、妻を心から愛し、喪失を恐れるがゆえに、「妻から自分への愛情」>「自分から妻への愛情」と強がってみせる、男の子の虚勢のようなものにすぎなかった。
そしておそらく妻は、それがいわば「ネガとしてのラブレター」であることも、理解していたのに違いない。

ゴルツは、彼のひと目ぼれから始まった恋の過程を、たんねんに掘り起こしては「君」に宛てて記してゆく。ダンスに行った最初のデート、結婚に難色を示したゴルツの母親に対する高貴な態度、貧しくも幸福だったアパルトマン暮らし、彼女の有能な仕事ぶり、二人で建てた田舎の家、とつぜん彼女をおそった病……。
ユダヤ系オーストリア人として故郷を捨てて亡命したゴルツと、母の恋人だった養父に育てられた英国人女性のドリーヌは、ともに母国語でないフランス語で意思を疎通させてきたが、そこには言語や国籍の壁をやすやすと越える、相互理解と思いやりがあったのだと、たしかに感じ取ることができる。

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本書は2006年に、妻の了解とともに出版され、愛の軌跡=奇跡の物語として、ベストセラーとなる。しかし話はそれで終わらなかった。
この本が上梓された翌年9月、ゴルツは妻と同時の死を望み、それを実行する。この本ではもちろん詳しくは語られないし、本国でもスキャンダルとして面白おかしく報道されることはなかったそうだ。

ただ、美しいだけではない、哀切なる夫婦の絆。
愛することの究極のかたちを選択した、老哲学者の最期。

本書のさいごにゴルツはこう記している。
〈僕たちは二人とも、どちらかが先に死んだら、その先を生き延びたくはない。叶わないこととはいえ、もう一度人生を送れるならば二人で一緒に送りたい、とよく語りあっていた。〉

ちなみに辞書で「愛妻」をひくと、こうだ。
――(苦楽を分け合っていこうと誓い合った)最愛の妻。(新明解国語辞典)

by enamiko | 2010-10-21 23:35

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